指揮:小澤征爾
演奏:ボストン交響楽団
レビュー
内容(「CDジャーナル」データベースより)
小澤のマーラーには,こってりとした民族的な味付けや濃厚な感情移入は感じられない。むしろ絶対音楽として客観視された主旨で統一される。それ故9番の3が苦笑など淡泊な印象。しかし4楽章と10番は,名状し難い神々しさに溢れる。上記アマゾンより引用。
中学生のころ、地方に住んでいたわたくしは、コンサートに飢えていました。そこにきて、小沢・新日本フィルがブルックナーの4番シンフォニーの演奏をしにわが田舎にいらっしゃったのです。ところが、わたくしブルックナーなんて1回も聴いたことがありません。で早速、ベーム・ウィーンフィルのデッカ盤を購入し、演奏会まで一生懸命繰り返し繰り返し聴きました。で本番の演奏会・・・
結局この体験からわたくしの得たものは、ブルックナーという作曲家の偉大さとウィーンの弦楽器の素敵な音色でした。
昔話はさておいて、この9番シンフォニーは、こんなかんじ↓
夏目漱石「夢十夜」
第六夜
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門のいらか甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合って美事に見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障にならない様に、斜に切って行って、上になる程幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中でも車夫が一番多い。辻待をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私ゃ又仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王程強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。余程無教育な男と見える。
運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。一向振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺をしきりに彫り抜いて行く。
運慶は頭に小さい烏帽子の様なものを乗せて、素袍だか何だか別らない大きな袖を脊中で括っている。その様子が如何にも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れない様である。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
然し運慶の方では不思議とも奇体とも頓と感じ得ない様子で一生懸命に彫ている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それで一寸若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面が忽ち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらん様に見えた。
「能くああ無造作に鑿を使って、思う様な眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言の様に言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違う筈はない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。果してそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめて早速家へ帰った。
道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、先達ての暴風で倒れた樫を、薪にする積りで、木挽に挽かせた手頃な奴が、沢山積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めてみたが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事が出来なかった。
三番目のにも仁王は居なかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。遂に明治の木には到底仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由も略解った。