2005年08月09日

交響曲第9番ニ長調

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指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
演奏:シカゴ交響楽団

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
カルロ・マリア・ジュリーニの才能と名声に改めて納得の一枚。繊細かつダイナミックな指揮は、もう名人芸の域に達している。シカゴ交響楽団との、息があったバランスの良い演奏が心地よい。

上記アマゾンより引用。

どこかのオーケストラの誰かが言った・・・
マエストロが指揮なさると、涙が止らないんです。

このCD初めて聴いたとき、目から鱗でしたね。まさに・・・
格調高い表現というのを初めて知りました。ノーブル!気高き魂。

そしてこれがシカゴ交響楽団?あのショルティと仕事してる・・・嘘だ。ありえない。

4楽章なんて、情念とかそういうものはしょせん浮世のものだと思えるくらいの昇華された世界が垣間見れます。

絶演だと思います。ブラヴォ!
posted by ぐすたふ at 07:50| Comment(0) | TrackBack(2) | 交響曲第9番ニ長調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月28日

交響曲第5番嬰ハ短調

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指揮:ジュゼッペ・シノーポリ
演奏:フィルハーモニア管弦楽団

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
2001年4月20日に急逝したシノーポリが、生前、最も得意としたマーラーの名演が追悼盤として廉価で再登場。後期ロマン派の雰囲気を色濃く伝える第5番はシノーポリの十八番といえる。

上記アマゾンより引用。

シノーポリとフィルハーモニア管弦楽団の5番シンフォニー仙台で実演に接しました。
シノーポリ氏はドイツグラモフォンからデビューしたての頃は、鬼才あつかいで奇演、爆演みたいなコピーで売り出されていたような記憶がありますが、このコンビが奏でるマーラーの実演はとても端整でフレッシュな音の溢れ出る演奏です。

でもシノーポリの録音されたマーラーは重い。なにかが重い。
posted by ぐすたふ at 00:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 交響曲第5番嬰ハ短調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月26日

交響曲第7番ホ短調

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指揮: オットー・クレンペラー
演奏: ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
クレンペラーはやはりとてつもない指揮者だ。失速寸前いや,ところどころ失速しているテンポを指摘するのは簡単だが,執念とでも言うべき骨太な音楽づくりが聴き手を呪縛。オーケストラが彼の美学に心うたれ(降参し),完璧に寄り添っているのも圧巻。

上記アマゾンより引用。

クレンペラー先生には失礼だが、この盤をはじめて聴いたときは、空いた口がふさがりませんでした。
ヨーロッパの巨大な建築物のレンガ1個1個の作り方から丁寧に教わっているような感覚。ていうかマニエリスム!
不自然なまでの誇張や非現実性、引き伸ばされた時間、マーラーの情念の酸化。
どっちにしても、こんな幅広い解釈を許すマーラーの作品も凄いが、
クレンペラー先生の解釈も尚更素晴らしい!
posted by ぐすたふ at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲第7番ホ短調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月22日

交響曲第10番嬰ヘ短調

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指揮: レナード・スラットキン
演奏: セントルイス交響楽団

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
D.クックによる復元版に親しんだ耳には,より現代的に聴こえるマゼッティ版。とりあえず3楽章あたりから聴くと違いが分かりやすいはず。今イチピンと来ない人でも,ちゃんとスラットキン自身が解説したCDが付くから安心だ。気合十分の熱演も魅力的。

上記アマゾンより引用。

おお、神様、なぜ私をお見捨てになったのですか!

あなただけがそれが何を意味してるか、ご存知だ・・・・・ああ! ああ! さようなら私の歌・・・・・

人の生死にたらればは在り得ないが、もしマーラーがこの曲を完成していたらと考えると本当に口惜しい。
補筆盤は、あくまでも仕事であり芸術にはなりえないとわたくしは思います。しかし、最終楽章のメロディーの美しいこと!

そしてなんという薄気味悪さ!

ちなみにわたくしはマーラーもバウハウスの作品も好きですぴかぴか(新しい)
posted by ぐすたふ at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲第10番嬰へ短調アダージョ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月18日

交響曲第6番イ短調

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指揮: サー・ゲオルク・ショルティ
演奏: シカゴ交響楽団


待ちに待った6番シンフォニーのわたくしの筆おろし盤。
わたくしは、マーラーの私小説を読むような気持ちで、楽しみにしていました・・・

話は変わって、ある前衛的な芝居を役者を生業としている友人と観劇しに行ったときのこと、

わたくし「さっぱり何が表現したいのか分かんなかったよ。」

友人「でも俺には1つだけ理解できたことがあるよ。」

わたくし「何を?」

友人「出演している役者が、出演している芝居をまったく理解できていないってこと。つまり、なんにもわかっちゃいないってこと。そりゃあんたが分かんないのは当たり前。」

わたくし「そんなものかな?」
posted by ぐすたふ at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲第6番イ短調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月14日

交響曲第3番 ニ短調

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指揮: レナード・バーンスタイン
演奏: ニューヨーク・フィルハーモニック


 この楽章(第一楽章)は、これまで私が作ったどの作品よりも、ひとりでに成長してゆく怖さを持っている・・・それが行き着く先、音楽が辿らなければならない道がわかるにつれて、そしてこの巨大な作品の作者として私が選ばれたことを知るにつれて、私は本当の恐怖に襲われる・・・今日はオリーブの丘に立つキリストが突然現れ、悲しみの杯を一滴も残さず捨てることを余儀なくされ、それをいとわなかった・・・
 他の楽章で何が起きるかを明らかにし、ある程度言葉で説明することはできるが、この楽章についてはそれができない。美術も科学も到達することができない深いところで、音楽によってその根元が捕らえられている自然の奥底に私と共に飛び込んでもらうしかない。そして自然にとりつかれた音楽家ほど、その神秘的な力に苦しむ芸術家はいない。−マーラーの生涯より
posted by ぐすたふ at 01:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 交響曲第3番ニ短調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

交響曲第1番ニ長調

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指揮: レナード・バーンスタイン
演奏: アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
すべて作曲家ゆかりのオーケストラによるライヴ録音。20世紀後半最大のマーラー指揮者だったバーンスタインの演奏は、その重量感と情熱的な表現でまったく他の追従を許さないものといえる。

上記アマゾンより引用。

知ってる?かつて狂気は神聖だった。すくなくてもプラトンのころ、狂気は両義的なものだったんだ。狂気は理性をうしなった人間の失墜したすがたではある。でも神的なものとの通路でもあった。だから神的な理性というとくべつな地位をみとめられていた。プラトンにとって詩人は、常人にあたえられない通路をつうじて神と交流する者で、それじたい一種の狂気にちかい存在だったんだ。−思考の用語辞典より

「もしかすると今日は悪魔が来るかもしれない」−マーラー
posted by ぐすたふ at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲第1番ニ長調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月07日

交響曲第9番ニ短調

指揮:小澤征爾
演奏:ボストン交響楽団


レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
小澤のマーラーには,こってりとした民族的な味付けや濃厚な感情移入は感じられない。むしろ絶対音楽として客観視された主旨で統一される。それ故9番の3が苦笑など淡泊な印象。しかし4楽章と10番は,名状し難い神々しさに溢れる。

上記アマゾンより引用。

中学生のころ、地方に住んでいたわたくしは、コンサートに飢えていました。そこにきて、小沢・新日本フィルがブルックナーの4番シンフォニーの演奏をしにわが田舎にいらっしゃったのです。ところが、わたくしブルックナーなんて1回も聴いたことがありません。で早速、ベーム・ウィーンフィルのデッカ盤を購入し、演奏会まで一生懸命繰り返し繰り返し聴きました。で本番の演奏会・・・
結局この体験からわたくしの得たものは、ブルックナーという作曲家の偉大さとウィーンの弦楽器の素敵な音色でした。

昔話はさておいて、この9番シンフォニーは、こんなかんじ↓

夏目漱石「夢十夜」
第六夜

 運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
 
 山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門のいらか甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合って美事に見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障にならない様に、斜に切って行って、上になる程幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
 
 ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中でも車夫が一番多い。辻待をして退屈だから立っているに相違ない。
 
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
 
 そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私ゃ又仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
 
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王程強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。余程無教育な男と見える。
 運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。一向振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺をしきりに彫り抜いて行く。
 運慶は頭に小さい烏帽子の様なものを乗せて、素袍だか何だか別らない大きな袖を脊中で括っている。その様子が如何にも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れない様である。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
 
 然し運慶の方では不思議とも奇体とも頓と感じ得ない様子で一生懸命に彫ている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
 
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
                                           自分はこの言葉を面白いと思った。それで一寸若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
 
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
                                           運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面が忽ち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらん様に見えた。
「能くああ無造作に鑿を使って、思う様な眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言の様に言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違う筈はない」と云った。
 
 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。果してそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめて早速家へ帰った。
 
 道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、先達ての暴風で倒れた樫を、薪にする積りで、木挽に挽かせた手頃な奴が、沢山積んであった。
 
 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めてみたが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事が出来なかった。
 
三番目のにも仁王は居なかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。遂に明治の木には到底仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由も略解った。
posted by ぐすたふ at 09:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 交響曲第9番ニ長調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月05日

交響曲第2番ハ短調

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指揮: オットー・クレンペラー
演奏: フィルハーモニア管弦楽団・合唱団、ソプラノ:エリザベート・シュワルツコップ
メゾソプラノ:ヒルデ・レースル・マイダン

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
クレンペラーらしくゆっくり目だが,ストイックなイン・テンポなどではなく,全体に緊張感あふれ,重厚。最終楽章は音にデフォルメも。フィナーレなど圧倒的な高揚を覚え,感動的。CD[1]最後に第1楽章。これで作曲者の指示通りこの楽章後の長い休憩を守れる。

上記アマゾンより引用。

祖父が亡くなった夜に、この盤を選んで聴いた記憶があります。何故ゆえ、ずっと好き好んでいたバーンスタイン新盤を選ばなかったのかは、今でも不思議です。
クレンペラー博士の演奏って不思議ですね。全くリスナーに媚びない。盛り上げどころも特に強調する様子もない。ショウマンじゃないんですね、根っから・・・。
どっちかというと、リスナーを突き放すような感じ。
まあ、この盤の評価はみなさまにお任せするとして、わたしは結構この指揮者好きです。
posted by ぐすたふ at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲第2番ハ短調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月02日

交響曲第5番嬰ハ短調

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指揮:レナード・バーンスタイン
演奏:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
20世紀を代表する大指揮者バーンスタインの名盤のひとつ。彼はマーラー指揮者としても高い評価を得ていますが、ウィーン・フィルのしなやかな弦を前面に押し出したこの第5は、この曲の決定盤として知られています。

上記アマゾンより引用。

以前、この第一楽章をわたくしの友人に「これチャップリンの映画音楽でしょ?」と、真顔で尋ねられて以来、正直わたくしは、この曲の葬送行進曲をマーラーの自虐的なユーモア?葬送行進曲のパロディみたいなものだと捉えていました。
だからバーンスタインのこの盤を聴いて、なんて大時代的、もしくはアナクロな演奏なんだと正直感じました。
のちのち、ファーストクラシックス盤というブートレグのライブ録音を聴くまでは。
posted by ぐすたふ at 23:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 交響曲第5番嬰ハ短調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

交響曲「大地の歌」

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指揮: オットー・クレンペラー
演奏: フィルハーモニア管弦楽団, ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
EMIの最新のリマスタリング技術によって蘇るART(アビイ・ロード・テクノロジー)シリーズ。巨匠クレンペラーがヴンダーリヒやルートヴィヒらの名歌手と残した「大地の歌」。

上記アマゾンより引用。

ちょうど今、「クレンペラーとの対話」(ピーター・ヘイワース著)を読み終わったところです。「大地の歌」とは直接関係ありませんが、ちょっと引用させていただきます。

ヘイワースの「偉大な才能と大きな苦しみとの間には関係があるとお考えですか?」との質問に、クレンペラーは2、3分冗談を言ったのち突然ルター訳の聖書を手に取り、読み上げた。

 われ日の下にてなされしもろもろの行為をみたり。ああ皆空にして風を捕らえるがごとし。
 曲がれるものは直からしむるあたわず。欠けたるものは数をあわするあたわず。
 われ心の中に語りて言う、ああわれおおいなるものとなれり。われより先にイェルサレムにおりすべての者より、われは多くの智慧をえたり。わが心は智慧と知識を多くえたり。
 われ心をつくして智慧を知らんとし、狂気と愚痴を知らんとしりしが、これもまた風を捕うるがごとくなるをさとれり。
 それ智慧多ければ悲しみ多し、知識をますものは悲しみをます。
                        (伝道の書 第一章十四−十八節)
posted by ぐすたふ at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲「大地の歌」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月22日

交響曲第9番ニ長調

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指揮: ブルーノ・ワルター
演奏: ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
ハイクオリティな音を可能にしたHS2088リマスタリングによって蘇った名演の再リリース。作曲家とワルターが師弟関係にあっただけに、完璧なまでの甘く耽美的な演奏は感動的。

上記アマゾンより引用。

1912年6月26日9番シンフォニーは、ワルター=ウィーンフィルによって初演された。
そして、この演奏は第二次大戦前の貴重な録音である・・・

・・・すいません、このアルバムを語ることは、まだわたくしにはできないようです。

posted by ぐすたふ at 10:33| Comment(0) | TrackBack(1) | 交響曲第9番ニ長調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月18日

交響曲第1番ニ長調

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指揮: レナード・バーンスタイン
演奏: ニューヨーク・フィルハーモニック

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
ああ音程が,アンサンブルが,リズムが,なんて言ってたらこの演奏は楽しめない。オケのことなんか全然眼中にないバーンスタインは,全部落第なんだから。それより「オレがこう思ったらこうなんだ」という,ハイパー・アマチュアぶりを満喫しよう。

上記アマゾンより引用。

ああ、バーンスタインは本当にマーラーの曲に深い愛着を感じているんだな、と納得せずにはいられない演奏ですね。
フレーズの歌わせ方ひとつとっても、なんかヨーロッパの地方の民謡歌いのような、土着的な血の通ったなにかを感じます。
ショルティ=シカゴのCDで感じた、自然の模倣、写実的な音感、シニカルさといったものはあまり感じることはできませんが、ふとしたときに鼻歌を歌っているような身近な愛らしいメロディーを目の当たりにすることができます。

当時のニューヨークの聴衆が羨ましい。溜息。ふう。
posted by ぐすたふ at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲第1番ニ長調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月14日

交響曲第9番ニ長調

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指揮: ジョン・バルビローリ
演奏: ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
最新のART(アビー・ロード・テクノロジー)によるリマスタリングで蘇るEMIの名盤。バルビローリがベルリン・フィルに客演した際に楽団員の申し出により録音された一期一会的な名演。

上記アマゾンより引用。

わたしの勝手な思い込みですが、バルビローリのマーラー演奏は、いわゆるグローバルスタンダードからは程遠い、なにかしら家内制手工業的なものを感じます。今日こそ、指揮者が他の指揮者のレコードを聴いて曲の勉強をするなどといわれる時代ですが、バルビローリに関して言えばその可能性は皆無だと思います。
何故って言われても、よく分かりませんが、この演奏には楽員と一緒になって新しい作品をその場で作り出しているような不思議なニュアンスが在るんです。今でこそ再構築に成り下がっているクラシック音楽がまだ再創造の志を持っていた古き良き時代があったんだな〜って強く憧れを抱きます。

はっきり言うと、このCDはわたくしの中では9番シンフォニーのベストでは在りませんが、特殊な存在感を持つ一枚であることにまちがいはありません。語弊があるかもしれませんが、ブラームス派の為のマーラー解釈?って感じです。

だが、たしかに素晴らしい!

posted by ぐすたふ at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲第9番ニ長調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月08日

交響曲第2番ハ短調

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指揮: レナード・バーンスタイン
演奏: ニューヨーク・フィルハーモニック

レビュー

Amazon.com essential recording
This is the most imposing performance of this symphony currently available. The tempos are rather slow, but Leonard Bernstein sustains the music's tension superbly, and the climaxes are every bit as overwhelming as they must be to justify the time he takes getting there. The concerts from which this recording derives were among the musical events of a lifetime, and much of that sense of occasion has found its way onto this disc. If you want to be blown away by music, then this baby's for you. --David Hurwitz

上記アマゾンより引用。

バーンスタインマーラーの本質に、性格的にも、作曲家、指揮者としての多面的な才能の点でも、きわめて似ている。だから彼のマーラー解釈はどれも核心に突き入っている」−ピーター・グラーデンウィッツ

ショルティの演奏で満足したつもりが、またとんでもない演奏に出会ってしまいました。
なんという解釈!
すさまじいとしか言い様がありません。
1楽章なんかもう、そのフォルムは異常です。形になっていません。推進力もない足取りです。だが、弦楽器のトレモロ、恐ろしいほどのデモーニッシュさ!悪魔にでもレニーは取り付かれたんでしょうか?

無神論者でもフィナーレの神々しさにはひれふさないわけにはいきません。全能の何者かが存在する。慈しみ、愛に満ち満ちた何者かが。

そして赦されます。

posted by ぐすたふ at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲第2番ハ短調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月05日

交響曲第2番ハ短調

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指揮: サー・ゲオルク・ショルティ
演奏: シカゴ交響楽団、ブキャナン(S)、ザカイ(A)、シカゴ合唱団
レビュー

内容(「CDジャーナル」データベースより)
アッケラカンとオーケストラ音楽。さすがにショルティである。マーラーがこの曲に託した様々な肥大感情には目もくれず,スコアに書いてあることだけを物理的に究めていく。それじゃマーラーじゃないという人もいようが,あたしゃ鬱陶しくなくて好きだね。

上記アマゾンより引用。

「復活」というタイトルから推察するに、劇的な音響マジックがさぞかし繰り広げられるだろうと思い、後期交響曲の寂寥感にどっぷり浸っていたわたくしはずっとこの曲を敬遠してまいりましたが、一念発起しての購入。

一聴後・・・

唖然。

ダイヤモンドのような輝きのウルトラ超名演。特に両端楽章!
はっきり言って別に気を衒った演奏じゃない。極端にテンポを揺らすわけでもない、テンポ設定は妥当。正攻法な方だと思う。だが、集中力が違う。一気に聴かせる、聞き手に有無を言わせない驚異的な説得力だ。凝縮されてると言い換えたほうがいいかもしれない。

その昔、チェリがカラヤンをコーラと評した事があったというが、カラヤンがコーラなら、ショルティはジョルトコーラ※だ!
これは聴かずに死ねるか!

※炭酸がコカコーラの2倍(だっけ?)のダイドーが販売していたコーラ。
posted by ぐすたふ at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 交響曲第2番ハ短調 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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